インサイドセールスとしての実力を試したい
ユーザベースに入社することになったきっかけはふたつあります。
前職で不動産業界に特化したVertical SaaSのセールスをやってたんですが、その会社が大企業にM&Aされたんです。それまでの、雑居ビルで始発から終電まで働くような生活が、六本木1丁目の高層ビルで働くことになり、年収も1.5倍に。周りはキーエンスや楽天、Google出身のメンバーで、いっきに視座が上がりました。
こんなふうに、M&Aされたことで人生が大きく変わるという経験は珍しいですよね。もちろんM&Aによってネガティブな方向に変わる人もいるかもしれませんが、僕の場合はすごくポジティブに変わった。だからもっとM&Aに関わりたいと思ったんです。
でも、たとえば大企業側に入ってスタートアップをM&Aするという選択肢もあったんですが、1年に100社をM&Aするような会社はそうありません。だったら、M&Aを活性化させるようなプロダクトがないかと思ったときに、INITIALを見つけたのがひとつ目のきっかけです。
もうひとつのきっかけは、前職でインサイドセールスの立ち上げを初めて経験したことでした。
僕はもともとフィールドセールスをやっていたんですが、当時の状況として、アポイントが入らず、フィールドセールスが社内にいることに違和感がありました。そんなとき『The Model』という本に出会ったんです。本で勉強して、私がプレイングマネージャーとして入り、インサイドセールスを立ち上げて、事業目標を達成したんです。
それまで、ビジネスパーソンの花形といえばフィールドセールスだと思っていました。ただ、インサイドセールスのような縁の下の力持ちがいることで事業が回る。さらに「年収」という形で評価をもらえるのがすごく楽しくなったんです。
インサイドセールスの立ち上げはすべて独学だったんですが、それがどこまで通用するのだろうという思いがありました。ユーザベースはブランディングがうまく、インサイドセールスも機能している印象があったので、ここで自分の力を試してみたいと考え、入社を決めました。
リーダーに就任するも、バリューが発揮できずに焦る日々
キャリアコンプレックスがあったんです。いい大学は出ていないし、有名な企業にいたこともない。その劣等感をユーザベースで払拭したいと思っていました。なんだその劣等感は……って今なら思えるんですけどね(苦笑)。もうひとつ大きな理由としては、自分の意思決定で事業を動かしてみたい気持ちもあって。
僕は専修大学を卒業してからダンスで食っていきたいという思いがあって、就職はしませんでした。それがうまくいかず、アルバイトしていた飲食店の社員になり、そこから3社ほど転職して、最後はM&Aをされました。
とにかく劣等感があって、自分のキャリアに自信を持ちたい、やってきたことを明確に認められたいという思いがあったんです。
だから、入社初日の千葉さん(千葉 信明/現INITIAL事業CEO)との1on1で、「リーダーになるために足りないところや方向性が違ったら、どんどんフィードバックください」と伝えました。当時、千葉さんがCCO(Chief Customer Officer)とDivisionリーダーとチームリーダーを兼任していて、カスタマーサイド(インサイドセールス/フィールドセールス/カスタマーサクセス)のリーダーは不在だったんです。
まず、ロープレ(※)に合格すれば独り立ちできると聞いて、みんなどれくらいで合格するものか聞いたら、1ヶ月から1ヶ月半だと。その基準を壊そうと「絶対1週間で合格します」と宣言したんです。
ロープレは千葉さんの商談が題材になっていたので、その動画を全部文字起こしして、笑うタイミングや抑揚まで全て真似しました。ひとりでロープレの練習を重ねた結果、1週間で合格しました。
入社当時は、自分ひとりしか見えていなかったんだと思います。とにかく自分が成果を出して、プレゼンスを発揮したい気持ちが強かったんです。
結果として入社した2020年のクォーター(四半期)は、3ヶ月の商談獲得数のチーム目標が200件だったのを、僕ひとりで130件カバーしました。前職で独学でやってきたことが通じた! と思いましたね。
メンバーの人数が少なかったのももちろんあるし、リーダーが不在だったのもありますが、自分から見たらINITIALのインサイドセールスには、やれることがまだまだあるなと思ったんですよ。
たとえば、インバウンドやセミナーのオペレーションは徹底されていない部分がありましたし、アウトバウンドはそもそもほぼ手をつけていなかった。そこをすべて自分がオーナーを持ってやった結果、それだけの商談獲得ができたという感じですね。
最初の3ヶ月の目標は、僕がいない前提で立てられたものです。それが、1月からは僕がいる前提で目標が立てられる。でもナレッジはすでに出し切ってしまったので、新しい施策がなかったんです。
そんななかでリーダーになって、細かい意思決定や、INITIALの経営会議への出席がプレッシャーになっていました。
たとえば過去ロスト(失注案件)にアプローチするとなったとき、「優先順位をつけてこういうふうにしていきたいんですけど、どう思いますか?」とか、メンバーからものすごく細かいことを聞かれるんですよ。いま振り返ってみると、すごく丁寧に仕事を進めてくれたんだなって思えるけど、そういうのが1日10個、20個とあって「自分で決めてくれ!」と投げやりになってしまいそうなほど、当時は切羽詰まっていました。
一方で、経営会議でもバリューを発揮できずにいました。入社3ヶ月で、ユーザベースの歴史も、業界理解も追いついていない。そんなやつが経営会議にでたところで何も話せないんです。これが半端ないストレスでした。
僕は「相手がどう感じているか?」想像しすぎて、自滅してしまうタイプなんです。経営会議に入ってもひと言もしゃべらない時間が続くと、「自分がここにいる意味ないじゃん」と思ってしまって。自分でそう思うということは、佐久間さん(佐久間 衡/ユーザベースCo-CEO)や他の経営陣たちも思っているんだろうなと。
周りの人が、自分に対してネガティブな気持ちを持っているだろうと、勝手に想像してしまっていたんです。
「自分のキャリアは終わった」3ヶ月の休職と、復帰で得たもの
体調を崩して3ヶ月ほど休職して、「自分のキャリアは終わった……」と思ったことですね。
先ほど話した通り、細かい意思決定が多く、経営会議でもバリューが全然発揮できずで体調不良になり、頭痛や吐き気、めまい、だるさで、まったくやる気が起きないような状態が1ヶ月以上続いていました。
でも当時は役員になりたかったので、そんなことを言ったらもう終わりだと思ってとにかく背伸びをしていました。その結果、できないことも「できる」と言って引き受けて、わけがわからない状態になってしまって……。
もう本当にきつくなってしまって、はじめは千葉さんとの1on1で体調不良のことを話しました。その後Slackのマネジメントチャンネルで佐久間さんやJJさん(酒居 潤平/ユーザベースCMO)に恐る恐る伝えたんです。
そうしたら、「そんな状態なら、期限は決めずにとにかく休んで、体調を回復させることを優先したほうがいい」と言われて。初めて自分が相当やばかったことに気がつきました。それで次の日から休職に入りました。
休職に入ると同時に、「自分のキャリアはこれで終わったな」と思いました。一度出世コースから外れてしまったら、いくら復帰してもいいポジションにはつかせてもらえないだろうという思い込みが僕の中にあって。
サウナに行く、本を読む、日光を浴びる、運動する、筋トレする、スマホを見ない。子どもと遊ぶ。それだけです。
最初の1ヶ月目はとにかく焦っていました。長期休暇を取ったことがないので、人間仕事しないとダメだよねって固定観念があったし、家族も養わなければいけないから、早く復帰しなければと。それが2ヶ月目は「休み最高」という気持ちになって、3ヶ月目にようやく本心で仕事がしたいという気持ちになりました。
そこから千葉さんたちとコミュニケーションを取って、復帰のためにどうやって慣らしていこうか相談しました。それからslackを見るようになって、2021年7月には健康な状態で復帰。このときはリーダーではなく、メンバーでの復帰でしたね。
復帰後、メンバーに共有したスライド
復帰初日はとても不安でした。メンタルを崩して休むことをとても重く捉えていたので、みんなに受け入れてもらえないなら、辞めたほうがいいだろうとまで考えていました。実際は、なぜこんなに悩んでいたんだろうと思うくらい、全員が変な気を遣わずにコミュニケーションをしてくれて、とてもスムーズに復帰できました。本当に感謝しています。
休職前は、自分ができないことを「できない」と言えなかったのが、休職明けは「できない」と言えるようになりました。
「やりたいけれどできないこと」は、みんなに助けを求める。その軸があるだけで全然違うんです。本当の意味でオープンコミュニケーションができるようになったので、仕事に対する取り組み方、メンバーに対するコミュニケーションの仕方は劇的に変わったと思います。
もうひとつ、仕事で自分の代わりはいますが、子どもの父親の代わりはいないことに気づきました。当たり前のことなんですが、休職前はそれを忘れていたんですよ。家族に対する接し方と、INITIALの仲間に対する接し方は大きく変わりました。
「頭おかしいの?」って思いましたね。もちろんいい意味で、です(笑)。INITIAL事業のDivisionリーダーは、いわば執行役員です。それを休職した人間に任せるなんて……。もちろん素直に嬉しかったんですが、「そんな意思決定をするんだ」という驚きがありましたね。
休職明けは自分のペースで徐々に成果を上げていこうと思っていたんですが、こういう性格なのでだんだんと火がついてきて。千葉さんやいろいろな人を巻き込んでやりたいことをやるようになった結果が、Divisionリーダーの打診だったのではないかと思います。
「みんながいなければ、僕はここにいなかった」
休職する以前は「スピードで驚かす」でした。ロープレに1週間で合格するとか、すべての基準を自分が破壊するつもりでやっていたので、スピードで驚かすことしか意識していなかったんです。
でも休職明けからは、圧倒的に「渦中の友を助ける」になりました。ユーザベースの、特にINITIALのみんながいなかったら、僕はここにいなかったと思います。
自分が困っているときにみんなが率先して助けてくれる。自分がそんな経験をしたので、誰かが困っていたら一番に助けにいっています。
オープンコミュニケーションができる、ありのままのリーダーでいたい
役員になる目標は達成しましたが、そこで満足する気持ちは一切ないですね。やっとスタートラインに立てたという気持ちです。ここからは自分の未知の領域ですね。
これまでは、「目標がいくら未達」とか「商談何件ありません」という場合は、僕がどうにかすればよかった。ここからは、僕が動くというよりは、みんなのベクトルをそろえて目標を達成することが役割になっていきます。
Divisionリーダーや役員となると、INITIALだけでなくユーザベース全体のことを考える立場なんですが、僕は新しいことは何度も試行錯誤してやっとできるようになるタイプ。将来的にSPEEDAやMIMIRと連携するべき場面は絶対に出てくるので、いい意味で焦らずに、まずはINITIALに集中したいですね。
私の理想のリーダー像として、「強がりの仮面」をかぶらないリーダーが、今一番しっくりきてます。
今まで自分が思ってた理想のリーダー像は、全てロジックが成り立っていて、全く隙のないリーダーでした。1年半前にインサイドセールスチームのリーダーになったときは、まさにそれを体現しようとして失敗しました。
全てのことを決めてしまうリーダーは、頼りがいがある反面、みんなと対話するチャンスも失ってしまうと思うんです。そうなってしまうと、私が創りたい「学習して、共感し、自走する組織」はできないと思ったので、1年半前とは大きく考えが変わった感じですね。
編集後記
普段、Uzabase Journalのインタビューの人選はリクルーターからの推薦が多いんですが、風さんは直接「自分で言うの恥ずかしいんですけど、私のインタビューをしてほしい」と連絡をくれました。Uzabase Journalに出たいと思ってくれたことが嬉しかったです!
休職期間中のことを書いてもいいですか? と聞く私に「もちろん!」と即答してくれた風さん。これまでの個人インタビューでも「仕事で忘れられないエピソード」を聞いていますが、その中でも特に印象に残ったエピソードでした。仕事でしんどさを感じている人に、ぜひ読んでいただきたいです。