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【1万字インタビュー】「自分」から「チーム」へ、「チーム」から「会社」へ。主語が変わって「経営者」になれた──代表取締役Co-CEO稲垣裕介

2023/06/26

【1万字インタビュー】「自分」から「チーム」へ、「チーム」から「会社」へ。主語が変わって「経営者」になれた──代表取締役Co-CEO稲垣裕介

2023年4月に創業15周年を迎えたユーザベース。品川のマンションの一室で産声を上げてからこれまでの歩みを、代表取締役Co-CEO稲垣裕介が振り返ります。最初はエンジニアだったので、どちらかというとコミュ障で、人前に立つのが苦手だったという稲垣。「自分」主語ではなく、「チーム」主語、「会社」主語になることで経営者として成長してきた過程や、ユーザベースのすべてのステークホルダーへの感謝について、じっくりと語ります。

稲垣 裕介

稲垣 裕介YUSUKE INAGAKIユーザベースCo-CEO/CTO

大学卒業後、アビームコンサルティング株式会社に入社。プロジェクト責任者として全社システム戦略の立案、金融機関の大規模デ...

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目次

ぶつかり合いながらも同じ方向に向かって必死に走った創業期

感情グラフ
創業当時を振り返って、どんなことがあったか教えてください。

僕自身は最初はCTOとして、2008年1月くらいからプロボノ的に休日や平日夜に手伝い、同年5月に正式にJoinしました。最初の1ヶ月は僕と梅田(梅田 優祐/ユーザベース共同創業者で稲垣とは高校の同級生)のふたりしかいなくて、ランチも毎回梅田とずっとふたり。ふたりでずっといるって話すネタもなくなるし、なんて苦痛なんだと思いながら過ごしていました(笑)。
 
その後僕の友人のエンジニアが少しずつJoinし、同じ年の夏には梅田の前職の同僚だった新野さん(新野 良介/ユーザベース共同創業者)もJoin。最初は僕やエンジニアがひたすらプロダクトを開発し、梅田や新野さんはSPEEDAに入れるデータを提供してくれるパートナーを探すところから始まりました。レベニューシェアモデルを提案していたんだけど、要は「最初はタダでデータをください」という形だったので、20代の役員がいるだけの実績も信用もない状態の会社では、なかなか興味を持ってもらえなくて……。

いろいろな会社に頭を下げ続ける中で、ようやく株価データを提供してくれるパートナーが見つかりました。本当に嬉しかった。今でも本当に感謝しています。株価データを提供してもらえるようになったことで、ずっとPowerPointの紙芝居の状態だったプレゼンが、実際に動くデモ画面を見せられるプレゼンになりました。自分たちも感動しましたし、動くデモ画面のプレゼンはパートナーの反応がかなり変わり、他のデータの提供パートナーも次第に見つかっていきました。

最難関は財務データでした。日本で過去の時系列も含めた財務データを保有しているパートナーはかなり限られています。さらに勘定科目データの構造も各社ごとに異なります。そもそも提供してもらえるパートナーはいるのか、提供してもらえる場合に何が理想なのか、慎重に議論と検証を積み重ねました。

結論、財務データは野村総研さんがOKをしてくれました。ただ、実はもっと前に先方からOKをもらっていたのに、データを検証する中で別のパートナー企業の勘定科目データが良いのではという話になり、一度こちらからお断わりをしていたんです。

結局その別の会社は断られてしまい、しかもデータ閲覧のために支払ったお金も返してもらえず……当時は労力をかけて企業としての対応をするお金も時間もなかったので、途方に暮れました。オフィス近くのカフェで梅田・新野さんと口数少なくなかなか立ち上がれないくらいでしたね。

みんなに説明しなければとオフィスに向かう帰り道、新野さんが突然「ラーメン屋やる?」とか言い出したりして(笑)、明るく振る舞おうとしてもまともな話が出てこない、どうしようもない気持ちでした。

エンジニアのみんなが絶望してしまったらどうしよう……と正直怖さもありました。でも実際に説明してみると、「大丈夫だよ! なんとかなるはずだ!」って言ってくれて、その根拠のない「大丈夫」に本当にパワーをもらいました。当時ギリギリの状態で経営をしていたのでチームコンディションは決して良くなかったんですが、みんなの言葉に本当に助けられました。

それで改めて奮起し、どの面下げていくんだと思いつつも、一度お断わりした野村総研さんに「やっぱりお願いします」って頭を下げに行きました。当時担当してくださった方はとても懐が広く、快くOKしてくれました。本当に嬉しく、救われた気持ちでしたね。今でもこのご恩は忘れません。野村総研さんのデータに合わせたSPEEDAをつくり上げ、無事に計画通りの期日でリリースすることができました。

感謝エピソード #1:野村総研様

後日談として、担当の方も社内への説明としてかなりのリスクを取ってくれていたのですが、結果的にSPEEDAが大きく売上を伸ばせたことで、正規料金を大きく超えた額をお返しすることができました。担当の方からも感謝の言葉をいただけて、僕たちとしても結果を出すことができて本当に良かったです。

SPEEDAのリリースは2009年5月ですよね。最初のクライアントが決まったときの社内の雰囲気はどうでしたか?

正直に言うと、最初は自分たちがゼロからつくったものが売れ「ちゃった」という感じでした。というのも、1年間潜ってプロダクトをつくり続けていたので、最初は自信も何もないまま「なんとかたどり着いた」というような感覚だったんです。ご契約いただけたときは喜びもさることながら、自分たちがゼロからつくったものにお金をいただく緊張感がすごかったです。

当時は本当に必死でしたね。システムは基本的に24時間動くので、心配で夜中に何度も目が覚めていました。当時、毎週日曜日の深夜はシステムアップデートのためのメンテナンス時間をいただいていて、オフィスにひとり残って仕事をしていました。でも、ハードワークのお客様からは深夜1時や2時でも電話がかかってくるんですよ。「SPEEDAがメンテナンス時間に入ってしまって、作業が終わらなくて……」と言われて、「できる限りすぐ対応します!」と急いで作業を進める。僕自身、エンジニアで電話対応が超苦手だったんですが、やらないわけにはいかないじゃないですか。

でも対応が終わってご連絡すると「助かりました。ありがとうございます!」と言ってもらえる。当時のお客様はプロファームの方が多かったんだけど、彼らのようなプロフェッショナルな人たちが、自分たちがゼロからつくったものを使ってくれて、徐々に彼らのインフラになれている手応えを持てて、さらに感謝される──これまで得たことがない嬉しさでした。

主語が「会社」になったとき「経営者」になれた

稲垣さんはCTOからスタートし、現在に至るまでさまざまな役職を務めてきました。その中で、経営者として自身はどう成長したと感じていますか?

創業直後は正直、腰掛け感があったんですよ。身銭も切っているし、絶対やりきるという思いは全くブレていないけど、僕の中では「梅田を手伝っている」という感覚が強かった
 
僕自身起業はひとつの大きな夢でしたが、ひとつの会社を立ち上げたら次は他の会社へと、いろいろな人の起業を手伝っていくことで多くの人に感謝される人間になりたいと思っていました。なので、梅田に「誘われた」という感覚があって、「自分の事業」として捉えるところまで行き着いていませんでしたね。だから、一区切りついたら辞めるかもしれないと梅田に伝えたことがありました。
 
でも、ユーザベースでの仕事がだんだん楽しくなってきたんです。自分が誘ったり、採用したりした人たちが増えたこともあって、中途半端に辞められない思いも強くなった。彼らへの責任感やチーム愛みたいなものも出てきて。いつしか辞めるかもという考え自体を忘れて、ユーザベース=自分事として考えるようになっていました。そのタイミングで、それまで主語が「自分」だったのが、「チーム」に変わったように思います。

ユーザベース稲垣裕介

自分の姿勢が変わったからか、技術チームもどんどん強くなってきて、矢野さん(矢野 勉/現 UB Datelake Teamリーダー)・林さん(林 尚之/現 執行役員 SaaS事業CTO)を筆頭に、創業当時では考えられなかったような素晴らしいエンジニアもJoinしてくれるようになりました。創業時から思い描いていた、エンジニアが働きやすい会社をつくりたい、純粋に技術スキルを伸ばせる会社をつくりたいという、僕の夢を認めてもらえた感覚がありました。
 
ただ、この頃はメンバーの人数に対して僕たちの経営能力が追いついておらず、ユーザベースは組織崩壊を起こしかけていました。そこで7つのルール(現「The 7 Values」)をつくったり、執行役員制度を導入したりしました。

また、もっと会社のカルチャーを大切にしたいし、それを支えてくれているメンバーやメンバーの家族への感謝をちゃんと形にしたいと、人前が苦手ながらも会社の年に一度の感謝祭(現One Uzabase Party。当時はYear End Partyだった)を率先して企画していきました。おそらくこういった過程を経て、主語が明確に「会社」になっていったんだと思います。

今でも覚えているんですが、ある年のYear End Partyで、当時営業を統括してくれていた新野さんが、サプライズでSPEEDAのお客様からのビデオメッセージを用意してくれたんですよ。大企業の何社ものお客様から「サポートデスクの皆さんがいなかったら、僕たちは(仕事が回らなくて)死んでしまいます」とか、すごく温かいメッセージをいただいて。メッセージをもらったメンバーはパーティー中に泣き崩れて、そんな彼らの姿を見て僕もさらに頑張ろうって思えたんです。あれは本当に嬉しかったし、不得意でもこういった場を企画してよかった。
 
「自分」から「チーム」に、「チーム」から「会社」に、主語が変わると自分が語るストーリーも変わるんですよね。だからといって僕個人の人間としての根幹の思いは変わらないんだけど、それをチームや会社を主語に語っているうちに、だんだん自分自身もそのストーリーに洗脳されて(笑)、さらに「会社」を主語として話せようになった状態でさまざまな原体験を重ねる中で、本当に自分の信じる思想や信念みたいなものに変わってくる。その結果、完全に「会社」が主語になりました。自分自身が「経営者」になれたのは、その時点だったのではないかと思います。

NewsPicksとSPEEDAのロゴステッカー
2012年にはCTOからCOOに役職が変わり、その後2017年にはユーザベースのCo-CEO兼NewsPicksCEOに就任しました。

CTOからCOOへは、T(Technology)が取れたことでもう少し幅広く業務を見なければと思ってはいたものの、そこまで大きな変化は感じませんでした。でもCEOになるのは全く別物で、特にNewsPicks CEOへの就任は大変でしたね。
 
梅田がCEOを降りて米国事業に集中するために新野さんと僕とでCo-CEOへ、そして新野さんがSPEEDA事業に集中できるようにと、僕がNewsPicksのCEOの兼務になってほしいという話だったんですが、最初は本当に本当に嫌でした(笑)。

自分もエンジニアというプロフェッショナルなチームで仕事をしているからこそ、いきなりエンジニア出身の僕が経済ジャーナリズムを語る立場になることに、うちの編集部もそうですし、世の中のメディアの方に対して不遜ではないかとめちゃくちゃ抵抗があって……。ただ、僕自身の個性として、人の期待に応えたい、感謝されるような生き方をしたいというwillがあったので、3ヶ月くらい悩みに悩んだ結果、最終的には梅田と新野さんを助けるためと、覚悟を決めてCEOをやることを受け入れました。

この時点では全く前向きではない感じになってしまっていますが、今ではこの意思決定をして心から良かったと思っています。そしてこの意思決定を良かったと思えるものにできたのは、さまざまな人たちに助けていただいたからであり、本当に感謝したい人がたくさんいます。

特に感謝を伝えたいのは、エッグフォワードの徳谷さん(徳谷 智史氏/エッグフォワード株式会社 代表取締役)です。

ユーザベースのみんなは自由を愛しているし、強制的に受けなければならない研修なんて入れたくないとずっと思っていました。僕も嫌だから。でも会社も大きくなってきたし、成長に苦しむ人も出てくる中で、僕たちの価値観を阻害せずにみんなを助けられる研修は必要なんじゃないかと考えました。結果、エッグフォワードさんのコーチング研修を導入したんです。

自分で決めたものの、正直抵抗感があり、僕が体験せずに誰かに強制することは絶対にダメだと思ったので、僕自身も徳谷さんのコーチングを受けました。ちょうどそのときにNewsPicksのCEO就任の話が出ていたので、なぜ社長をやりたくないのか、どうすればやりたくなるのか、ひたすら思考整理に付き合っていただいたんです。

こういう意思決定って本来とても孤独なんですよね。僕たちはチーム経営だから、いつもは苦しいときは梅田・新野さんに相談していたけど、今回はひとりの状態。だけど、徳谷さんに伴走してもらえたおかげでひとりじゃなかったし、自分を客観視できて最後は腹をくくれた。めちゃくちゃ感謝しています。

感謝エピソード #2:エッグフォワード徳谷様

CEO就任後、緊張状態で半年くらいはあまり寝れませんでした。とにかく緊張しながらもお客様やパートナーに会いに行って、必死にキャッチアップする日々でした。でも、多くの方がNewsPicksにリスペクトを持っていてくれて、僕の拙い話に耳を傾けてくれましたし、いろいろなことを教えてくれました。

徳谷さん以外にも本当に多くの方々がさまざまな機会をくれたので、だんだんとCEOという目線で経営をしていけるようになりました。

その後、2018年3月にNewsPicksのCEOを退任、2020年4月にはユーザベースのCo-CEOから、COOになりました。このときは、何があったのでしょうか。

新野さんが体調不良で長期離脱することになり、僕はちょうどNewsPicksに慣れてきたタイミングだったんですが、全社の優先順位を考えて梅田との役割を整理し、僕がSPEEDA事業CEOに就任することになりました。僕がNewsPicksのCEOの経験をしていなければこの選択は取れなかったので、こういった迅速な経営体制の変更ができるようになったことからも、価値がある選択だったと思っています。
 
当時はINITIALとFORCASの両事業を新規事業として垂直立ち上げをしていたため、SPEEDAとのカニバリ(カニバリゼーション/自社の事業同士が競合すること)も恐れずに進めていましたが、事業が形になればなるほど実際にカニバリが起きていきました。

これはSaaS事業をまとめて見られる人が必要なのではないかという話になり、梅田との会話の中では僕と佐久間さん(佐久間 衡/現ユーザベースCo-CEO)に白羽の矢が立ちました。SPEEDAには思い入れもあるし、僕がやりたい気持ちはありました。でも、佐久間さんにはSaaS事業全体を経営できる力が、すでに十分に備わっていたのは分かっていて。

会社として未来のある選択肢がどちらかと言えば、当然佐久間さんに最高の挑戦をしてもらうこと。佐久間さんにはいずれはユーザベース全体の経営に関わっていってもらいたいという思いもあったので、梅田とも話してこの挑戦を後押ししようということになりました。
 
ただ、僕は僕で、慣れないながらもNewsPicksをなんとか形にしてCEOを交代し、海外も含めてSPEEDA CEOをやっていた状況です。その数年間は本来得意で想いのあるエンジニアリングやカルチャーに集中することを捨てて、慣れないことに取り組んできました。得たものも大きかった反面、優先順位を劣後したことによる組織の課題や自分自身の疲れもあり、改めて一旦自分の強みが活かせることをしたいと梅田に話しました。
 
それでお互い得意なことに集中できるよう体制を変えることになり、梅田がトップで僕がサポートという昔からの関係性に戻すことになったんです。ただ共同代表の良さは残したかったので、結果として梅田が代表取締役CEOで、僕が代表取締役COOに就任したという経緯です。

ユーザベースCo-CEO稲垣裕介
そうした中、コロナ禍が発生します。

コロナというすべてが一転してしまうような厳しい局面を迎えた中で、もっとも大きかったのはQuartz事業の撤退。創業以来初めての明確な失敗として、事業撤退をすることになりました。さらに起きたのが梅田の引責退任です。

梅田から「自由主義を掲げる会社だからこそ、自由と責任の中で今回は自分の責任としてちゃんとけじめをつけたい」という想いをもらい、いろいろ話しましたが最後は彼の意思としてそれを尊重したいと思いました。

新野さんは個人の体調の問題で2018年に退任をしていたので、創業者としては僕ひとりが残ることになりました。ただ正直、最初は僕だけが残ることが本当にユーザベースにとっていいのか、残る選択をするまでには本当に苦しんだし、悩みましたね

常に上手くいき続ける会社もないですし、「迷ったら挑戦する道を選ぶ(The 7 Valuesのひとつ)」を掲げる会社だからこそ、失敗はありうることが前提。失敗をしても再挑戦できるんだということを、自分自身が示していくことも大切なんじゃないかと残る選択をしました。

残る選択に至ったもうひとつの決め手は、メンバーのみんなです。誰にも相談できず悩んでいるとき、みんなの顔が浮かんだんです。僕自身、人のために生きたいと願っている人間なので、みんなのためにも頑張ろうと。それで、2020年末に「やるぞ」と腹をくくりました。

この意思決定のときは、松井さん(松井 しのぶ/執行役員CHRO)が「話がしたい」と連絡をくれて、松井さんともいろいろ話しましたが、最後は僕のことを支えたいと言ってくれたんですよ。佐久間さんは「いずれは共同代表になってほしい」と伝えたら「今じゃダメですか」と言ってくれて。素直にありがたかったです。僕はひとりじゃないんだなって思えた。

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このときは、社外取締役の平野正雄さん(現在は退任)にも相談させてもらいました。梅田が退任したあと、すぐに佐久間さんを共同代表に推薦したことで、これだけ変化が大きい中でそこまでやるのかと議論が出たときも、「稲垣さんらしい考え方だし、佐久間さんは経営者の器を持っているから」と言ってくれました。稲垣さんのような人を信じる経営スタイルが先進的な形で未来をつくっていくはずだから、自信を持ってやってくれ、と背中を押してくれたんです。
 
他の社外取締役の方々も、何度もオンラインで話す時間を取ってくれました。僕の感情を吐き出せる場所をつくってくれて、本当に感謝しかないですね。

まさにチーム経営ですね。たしかにQuartz撤退はかなり大きな出来事でした。

Quartz撤退時、退職希望者がいれば退職金を多めに出す期間を設けました。会社としても本当に大きな変化のタイミングでしたし、特に大きかったのは会社の方針としてグローバルを一旦劣後せざるを得なかったこと。引き続きユーザベースと一緒に挑戦していくのかどうか、みんなにとっても考えをはっきりさせる節目をつくるべきだと考えました。

でもフタを開けてみたら、退職したのはちょうど1%くらい。ほとんどのメンバーが残ってくれました。当時、事業は伸びているのに株価が下がり続け、創業以来初めてうまくいかない感覚を持って悩んでいたんだけど、パワーをもらえましたね。

感謝エピソード #3:社員

すべてのステークホルダーに感謝を。信頼を紡いで未来につなげる

2022年11月、カーライルによるTOBを通じた非上場化の発表がありました。その背景にあった意思決定や想いなどを聞かせてください。

極論を言えば、株価が絶好調であれば非上場化の必要はありませんでした

当時、事業は着実に伸びていたものの、Quartz売却から株価の回復には至っていなかった。自分たちのコミュニケーションを含めて、うまく形をつくることができなかったという事実に苦しんでいました。
 
そんな中で市況全体の悪化もあり、非上場化の打診が複数来るようになりました。それまで考えもしなかった選択肢でしたが、社外取締役の方からのアドバイスもあり、我々の選択肢を広げるためにも、一旦非公開化するのはどうかと真剣に検討するようになりました。

ただ、その時の状況では仮に倍のプレミアムがついても、既存の投資家の中に損する人が出てしまう。株価が低迷する中でも、ほとんどの機関投資家は僕らを信じて売らずにいてくれていた中、どうすべきなのか本当に悩みました。

悩みに悩む中で、ある顧問の方にご相談した際、

すべての投資家の簿価の価格を超えなければならないというのは、創業者のセンチメンタルに感じる。株というものの性質上、投資家は基本的に時価でしか見ていない。TOBで倍のプレミアムがつくとしたら、株主のことを思うなら逆にやらない理由のほうがない。それにそもそも株主にコミットしたのは株価を上げることではなく、ユーザーにどんな価値を提供できる世界をつくるのか。それをまっすぐに追求することではないか。

と言われて、ハッとしたんです。

機関投資家やさまざまなお客様と対話する際、論点はNewsPicksになることがほとんどです。NewsPicksに期待を寄せてくれる方は本当に多くて。個人では新興メディアを含め、いろいろなメディアを見ればいいかもしれないけれど、日本を本当に良くしたいと考えたら、ぜひNewsPicksと組みたい──そんな風に言っていただくことがよくありました。地方創生やグローバルに向けた動きなどの新しい挑戦も続けていて、非上場化が成立した今でも、いろいろな方が口を揃えて言ってくださる。

こういった声は本当にありがたいし、勇気をもらいました。そう考えるとNewsPicksを売却する選択肢はありません。それで腹をくくって、NewsPicksも含めベストな形で事業を再成長させるために、取締役会での議論を経て、非上場化を決断したんです。
 
非上場化することを決めた後、佐久間さんや千葉さん(千葉 大輔/執行役員CFO)と一緒に、投資家の方々に頭を下げに行きました。「再上場するときには、また株式を買いたいと思っている」と言ってくださる声に頭を上げられませんでしたね。

感謝エピソード #4:機関投資家の方々への感謝

そうした方々に恩返しできることと言えば、再上場するときに「また買いたい」と思っていただける会社になって、かつ株価を上げること以外にないと思っています。TOB発表後、ほとんどの投資家の方々と話すことができて、共感のメッセージをいただいたことで、必ず恩返ししなければと覚悟を新たにしました。

最後に社内に対してのメッセージをお願いします。

全てのステークホルダーへの感謝を忘れずに、その思いを未来に紡いでいってほしい。創業当時から梅田や新野さんとずっと言い続けてきたことでもあり、これに尽きます。
 
創業期、まだ信頼も何もなかった僕らに協力してくださったパートナーの方々のおかげで、プロダクトをつくりあげることができました。その連続で──お客様、ユーザベースの卒業生など、これまでユーザベースに何かしらの形でかかわってくれた方々のおかげで、今のユーザベースがあります。自分たちだけで今の状況を生み出すことはできなかったと心から思っていますし、すべての方に感謝をしています。
 
今、社内のメンバーは半分以上がコロナ禍後に入社してくれた人たちで、これまでのユーザベースの歴史について知らないことがいっぱいあると思います。ただ、こうしたたくさんの人の想いや信頼があって、今が成り立っていることを知ってもらいたい。そして感謝の気持ちを持って、今度は僕たちが他社のステークホルダーとしてお返しをできるようになっていってほしい。
 
現在はありがたいことに、僕らが出資したり他社のプロダクトを購入したりできる立場にもなりました。そうした場面ではこれまで僕たちが周りに信頼して育ててもらえたように、僕たちも市場に対してできる恩返しをしていきたいという気持ちでいます。スタートアップファーストクライアント宣言をしたこともこれが理由です。

たとえば、他社からの提案の商談の末にプロダクトを購入しないことになったのであれば、なぜ購入に至らなかったか先方に丁寧にフィードバックをする。採用面接でやむなくお見送りする場合には、なぜ採用できなかったのかを僕たちの目線で誠実に伝える。そうすれば、相手にとって何らかの気づきになるかもしれないし、次につながる場になったと思ってもらえると思うんです。いずれまたご縁があるかもしれないですし。そんなふうに、みんなにも信頼の連鎖を未来に紡いでほしいと思っています。
 
信頼や感謝を紡ぐこと、そのコンテキストを大切にしてビジネスをしていくことが、過去から今、そして未来により良い形でつながっていく──創業期は頭の中で描いた絵空事でしたが、15年経った今では、そうした未来のほうがユーザベースという企業としても、メンバー1人ひとりの人生としても、より良いものになっていくのだと確信しています。

これからもこの思いを忘れずに、まっすぐに挑戦して突き進んでいきたいと思います。

嬉しそうな稲垣

編集後記

2回の追加取材と膨大な追記を経て公開した今回のインタビュー。当初5,000文字ほどの記事だったんですが、取材を重ねれ重ねるほど、どんどん感謝のエピソードがあふれてきました。本当にたくさんの方に支えられた15年だったのだなと、私も改めて感謝の気持ちが湧いてきました。

どのエピソードも削れない……ということで、【1万字インタビュー】と題して記事化することに。

Quartz買収から梅田の退任、非上場化の決断をするまでの稲垣の葛藤は、かなり生々しいエピソードが飛び出しましたが、ほぼそのまま掲載しています。編集しながら当時のことを思い出し、再上場に向けて改めて気を引き締めて頑張るぞと決意を新たにしました。

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執筆:宮原 智子 / 撮影:高倉 夢 / デザイン:片山 亜弥 / 編集:筒井 智子
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